ホーム>新着情報>塾長ブログ>夏合宿 参加者の皆様へ なぜ米沢か⑤
塾長ブログ

夏合宿 参加者の皆様へ なぜ米沢か⑤

米沢のA・B・Cと言われる物があります。

 

Aは、Appleで「りんご」

Bは、Beefで「牛肉」

Cは、Carpで「鯉」

 

米沢の名産品です。

米沢牛は有名ですね。

 

りんごと牛肉は、

明治以降、米沢で育てられた物です。

 

しかし、鯉は上杉鷹山の時代の物です。

米沢は山国です。

タンパク質不足にならないように、

お城の堀や、家臣の庭の池や、沼地で、

鯉を飼いました。

 

子どもたちは、鯉の餌やりで楽しみながら鯉を育てました。

今でも米沢の名物である鯉の甘露煮です。

 

養子の治広の後見人として、

第二次改革を始めた時の鷹山は、

22歳の時に七家騒動を引き起こした時の

鷹山とは異なっておりました。

 

正しい意見であれば、

七家騒動で切腹や謹慎を命じた

家臣の子たちの意見も取り入れました。

 

自分ひとりや、

自分に近い人たちばかりでなく、

みんなで協力して米沢を盛り上げようとしたのです。

 

鷹山以前の米沢では着物の原材料のみを売り、

収益を得ていました。

しかし、それでは利益が薄い。

 

そこで、鷹山は上杉家と縁のある越後小千谷より、

小千谷縮の職人を呼び、

織物の製法を教えてもらったのです。

それで生まれたのが、

こちらの米沢の伝統工芸品で米沢織です。

米沢織は江戸で人気を博し、

米沢藩と作成をした人々のもとに、

大きな収益が入り、

人々に自信を与えたのです。

 

また、笹野観音の前で売られていた

木彫りの鷹。

それを見た鷹山が、

これは売れる!と奨励し、

旅人へのお土産となったのが、

今でも続いている「お鷹ポッポ」です。

 

また覚悟を決め、

武士を捨て荒れ地を開拓した武士たちもおりました。

相当な覚悟です。

この人たちのお陰で、水田が増えていきました。

 

さて、鷹山の改革とは一体何だったのでしょうか?

 

経済改革ならば、その例はたくさんおります。

 

鷹山が残した物。。。

それは人々に自信を与えたこと!

これが最大の成果だと思います。

 

自信を失い自暴自棄になっていた米沢藩の人々。

しかし、米沢織もお鷹ポッポも、

実は身の回りにあった物から作られたのです。

 

自分の価値に気が付かなかったのです。

 

現在の私たちも同じです。

それぞれが、良いものを持っているのです☆

 

鷹山には藩主になる前に指導を受けた恩師がおります。

細井平州です。

 

平州は3度米沢を訪れております。

3度目は70歳を過ぎておりました。

当時、歩きで江戸から米沢までは、

相当な旅だったと思います。

 

鷹山はお城から遠く離れた普門院というお寺まで出かけ、

涙ながらに平州を迎えます。

平州は鷹山が心配で仕方がなかったのだと思います。

 

その細井平州が開いていた私塾が、

『嚶鳴館』です。

 

『嚶鳴』とは一本の木に、

たくさんの鳥が集う様、

転じて「同じ場所に、みんなが集い切磋琢磨している様子」です。

塾にピッタリですね。

 

私は、平州先生より塾名を頂きました。

 

鷹山も米沢藩を最終的に、

『嚶鳴』の状態とさせ、

藩主・家臣・領民が一丸となって、

米沢藩を立ち直したのです。

 

鷹山は70歳で他界します。

 

鷹山の死後、米沢藩は莫大な借金を完済し、

空っぽであった藩の蔵には、

黄金が積まれるようになっていたそうです。

 

「為せば成る 成さぬばならぬ何事も

 成らぬは人の為さぬなりけり」

 

『嚶鳴』に託した思い。

 

生徒の皆さんは、

可能性に満ちあふれています☆

それを自分自身で潰していないだろうか?

 

「成らぬは人の為さぬなりけり」

 

夏合宿を上杉鷹山の街で体感し、

自分で限界を決めず、

未来を切り開きましょう!

 

ご参加を決めて頂いた保護者様。

費用の面でご迷惑をお掛け致しますが、

掛け替えのないものを、

大げさですが命を使い、

お子様にお伝え致します。

それが使命です。

 

嚶鳴進学塾

塾長 柴田謙一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.f-oumeishingakujuku.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1219

お気軽にお問い合わせください
ページの先頭へ